12/31/2010

プライド

どうやら近頃、こんな考え方が蔓延しているような気がする。
興味は誰かが持ってくれて、それを優しく教えてくれて、自分がその場で理解できるようにして貰いたいらしい。
その場で理解できるように教えてくれないと、「あの人は教えてくれない、教え方が悪い」と言うし、
(自分で調べてみようとか、Googleで検索とか、考えてみようなんて言ってはいけない。)
仮に理解出来るようになるとあの人より詳しいと主張し、その後は一切シャットダウン。
(こっちがgoogleで調べているのに、、、自分で調べれば1秒以内に返ってくるのに。人に調べさせていることで満たされているのか?)

これがテクニシャンのプライドらしい。誰かの努力は、結果は横取りさせてもらうが努力している事自体が無駄。努力は仕事していないとみなす。


無理。。。
もったいない。
そもそも、興味自体が無いのか?

その様な人が実は評価が良くて重用される。そんな人はいらないと言ってる割には。
有能エンジニアの流出の入口はここから始まる。それも決まって上から。
もっとも、それを知ってて変えられないのがもっともたちが悪い。

マンハッタンに行った時のツアーガイドがたとえは違うが同じ話をしていた。それに嫌気をさして、あの街に住んでいるのかもしれない。
昔は、外人は、仕事しねーからという考える人がいたけど、実は、ちゃんと仕事をしていたのだと思う。
私もよく、あなたは仕事してないねと言われるが、アメリカのボスやクライアントからは、常に最高の評価を頂けている。評価の基準が全く異なるのかもしれない。

この話は、現代版の蟹工船かもしれない。防御策は蟹工船でのビラ配りと違って、逆に徹底的に出さない事。それを感じる多くの友人は共通して言う事がある。
「情報は徹底して操作すべき、選ばれた者だけが手に入れられる。選ばれなかった人間はじたんだを踏む。」
これで全て話が丸く収まる。
評価してくれる人に情報を流せば良いのである。評価できない人にいくら出しても評価はされないし、その評価をもらってもうれしくないでしょ。

このエントリを自戒も兼ねて書いているが、評価を出すことだけが重要ではなく、評価を出した後に如何に喜びや悔しさからくる力を与えられるかにかかっている。

もうきれいごとでは、どうにもならない世界。

結局はどの様に人に接するか。

Ubuntu 10.10ではまっていること

KVM用のubuntu 10.10 server editioを2カ所に構築中なのだが、いくつかハマっえいることを列挙。

1.自動サスペンドレジュームスクリプトのうち、停止時つまりサスペンドのスクリプトが読まれない。手実行なら成功するのだが。。。

2. シリアルコンソールとCRT両方にコンソールを出しているのだが、シリアルコンソール側にgrub2のメニューが出ない。

3. コンソールのスクリーンセーバーの停止方法が不明。
setterm -blank 0 -powerdown 0 をrc.localに書くしかない。パッケージを追加しないとオシャレな方法はないらしい。
だってハングっていたときにコンソールのメッセージを見たいんだもん。

4. Intel ICHに搭載されているハードウェアウォッチドッグの動作確認方法がわからない。watchdogプロセスを強制停止してもリブートしない。

お分かりの方、コメントをお願いします。


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選択の科学

もう大晦日。年末年始が嫌いな私としては、近頃、良く本を買う。
最初はミレニアムを買いに行こうと思ったが、知り合いの会社社長から借りられるかもしないので、ペンディングにした。次にIT系の本をと思ったが、切断してスキャンしてしまうので、もったいない。その後の本も周りの人間は、全く興味を持たないので処分される運命にある。手順書的な本は喜ばれるが、技術書は、周りには全く喜ばれないのである。

閑話休題
AmazonのWish listまで入れて悩むに悩んで、そこで手にした本は、

選択の科学 シーナー アイエンガーというシーク教徒の家庭に育った全盲のアメリカ人で、コロンビア大学の人である。内容は、選択という行為を科学的に分析している本で、まだ読み始めたばかりだが、とても面白い。

ぜひ、選択に迫られている就職活動中の学生、内定という言葉だけで就職してしまった新入社員、、転職という選択に迷っている優秀なビジネスマンに勧めたい。そう選択をあきらめ、選択に躊躇している人たちへ。

人間は選択をしたいという欲求に満ち溢れ得ている。また、選択をしないと、次の選択ができないのだ。その選択がたと死と隣り合わせでも自分の選択ができれば生き延びることができる。

生きる望みを教えられたテスト用のマウスは、生きる望みをを知らないマウスよりも長生きする。
これで感じたのは、例えば、新入社員をこれでもかというくらい洗脳してしまうと、その後自分では、選択をした経験がないのでロボットのようになり、苦境にぶち当たっても選択ができない。選択は、右か左という簡単なものではなく、選択による失敗や成功かという経験から選択が生まれる。その環境を育むのは、選択をしたいという欲求が満たされる環境、つまり洗脳される環境ではないということ。教えるべきは、自分の選択が常につきまとわれることであること。

次の進むべき進路が見つからない、決まらない学生は、もう一度、選択ができる状態であるということを考えて欲しい。あくまでも進路を決めるのは学生自身、周りの誰から、親、企業ではなく、自分の欲求からくるものある。もちろん、親にも企業にも選択をする自由がある。それだけだ。
企業へ面接しに行く際も、あくまでも選ぶのは、企業側だけではなく、自分にもあるということ。つまり、大企業は、完全に選ぶ立場にあるから、選ばれなかったとしてもそれは、企業の選択をだ。逆に学生が来ない、学生に見向きもされない企業は、この大企業が採用を絞っていることをいいことに、自分たちが扱いやすい企業を選んでいる。ある意味、時期を利用しているにすぎない。
学生に人気がない企業、つまり大企業ではない企業でもいっぱいいい会社がある。ただ、人気がないのは、学生のアンテナの感度があくまでも学生レベルしかない為、世界的に見てもいい会社と合致することはあまりない。
ただ、そこで忘れないで欲しいのは、基本的な就職活動は、自分の将来を選択することが大手を振って許されている数少ないポイントということである。この世に生を受ける、結婚する、子供ができる、そして人生を全うする、これは全て自分だけに選択ではできないはずだ。
就職や転職は、自分で自分の責任を取らなければならない数少ない選択の一つだ。大学を選択したといえるかもしれないが、所詮、大学の選択は親によるものが大きい。なぜなら大概親が学費を出資しているからだ。自費で生活費も含めて自分の人生に影響する学校に行った人は、先日なくなった高校の先輩と、料理人になった高校の同期、そして、和歌山から上京してきた学生の3人しか知らない。

就職活動をする時の注意点は、あくまも自分で選択するので、受けている会社が行きたい会社かどうかは、内定通知がきて、回答するまで徹底的に悩むこと。企業は、自分がどんなに素晴らしいかをアピールするが本当にそうかは分からない。例えば、大企業と取引がありますといっても、名だたる会社と月に10万円程度かもしれない。必ず、定性だけではなく、定量でも調べたり質問すること。また、ちょっとでも行きたくないなと感じたら、いかない方がいい。面接官の態度や仕草が気になるとしたら、相当猫をかぶっているはずな場所でも出てしまうことを意味する、入社後はどカーンと嫌な態度や仕草がてくるだろう。人間のカンこういうところで大きく影響をする。
入社後の仕事内容が、教育期間が長い、過激であれば、洗脳を強いる、つまり、学生でやってきたことを無視しているにすぎない。逆にOJTがメインの会社は、キャリアを分けてくれる優秀な先輩をたくさん抱えていることを意味する。その様な会社は大企業が多い。結果として大企業がいいということになってしまうが、小さい会社でも数は少ないがあるはずだ。
もちろん、学生のほうも、企業に対する調査や、入社後のビジョン、人生のビジョンを語れなければ、採用はないと思っていい。この3つが自分の言葉で語れないのであれば、企業側は採用しないだろう。
お互い選択の自由がある。選択する為に学生は、調査や将来についてを考える必要がある。

新入社員の人は、来年4月から2年目。2年生とは言わない。もし、言われているのであれば考えたほうがいい。あくまもキャリアが2年目であり、企業は学校ではない。1年生も2年生も企業にはいない。
そういう考え方があるとしたら、それは洗脳されえている、というかこの1年のキャリアの結果は、洗脳による対価であり、キャリアに対する対価はない。自分に許されている選択の欲求を放棄しているか、手に入れられないかのどちらかである。選択を知らない者は、チャンスが来ても選択はできなくなる。

私は、転職をたくさんしているが、自分に中では常に選択をしてきた結果えある。一社にいても企業内における選択自分に目的に会うものではないか、もしくは選択が企業内ではなく外にあっただけ。俗に言うプロパーの社員を見ていると、選択をしたことがないから、仕事上でも選択をしない。企業文化の維持に役に立っているのだが、決して健全ではないと思う。この様な会社は、大企業ではかなり少なくなっているが、依然存在している。売り上げが下がっている会社は、プロパーになんらかの特権があるのかもしれない。

グローバル化している世の中だから常に選択をしてもいいと思う。グローバルといっても海外という意味ではなく、自由が許された世界、つまり、欲求を満たすことができる環境という意味だ。
私の部下には、常に選択しろと伝えているし、面接があるから会社を休むことを知ったとしても、とやかく言わない。選択の自由は常に本人にあるからだ。引き止めの行為なんて愚の骨頂だと思う。選択から外れただけだ。それも仕事としての。人として言われたわけではない。ただし、引き止める人は往々として、人としての選択からも外されているケースも多い。

企業が1年1年レビューするように、ボーナスや昇給だけではなく、自分の1年をしっかりレビューすることが必要。残るのも、転職活動するのも、転職活動を停止するのも、みんな選択だ。

転職を考えるビジネスマンは、どうなのか?
決して、会社や上司部下の不満をぶちまけないで欲しい。所詮、今の環境という天の神々に対してツバを吐いているのと同じだ。状況が選択を迫られるにであれば、必死に選択すればいい。何がやりたいか、それだけだ。たまたま今の会社で出来ないのであれば、実現できるところを探せばいいし、給料が安いのであれば、それで何が困るのかを考えて欲しい。生活がこまるのあれば、転職の前に生活を引き締めなきゃならないし、自分の対価が安いと感じるのであれば、認められる様に努力をする、それでも認められないのであれば、公に知らしめるという意味で転職を考えても遅くはないのではないか?
先日お会いした私のいる業界とは全く別に業界で活動されているとある会社社長は、とても面白いことを言っていた。
「会社を作ったのはやりたくて作ったのではなく、必然から生まれただけだ」
ここまで断言できるようになりたいと思う。


私自身、親がやってきた人生を送ることが出来ないと思っているし、超えることも出来ないと思っている、逆にできることと言えば、自分の責任の中で興味があること、やりたい事を今という状況と経験に照らし合わせてチョイスすること。結果として、親が実現しようとしている人生の幸せを別の角度実現しようとしているだけだ。

近頃、親が「お前は本当に幸せなのか」と聞いてくるが、その気持ちだけ受け取ることにしている。幸せなんて、結局死ぬ直前のレビューでしか分からんし。仮に幸せでないと感じたとしてもその時は、すでに死からのお迎えがきている。

12/30/2010

脳みそ

衝突シーンと将来起こりうる事予見していくと結構頭を使う。イベントを自分から起こして行くと特に。
世間は休みかもしれないけど、脳みそは休み知らず。死ぬまで頭の中はグルングルンしてるんだろうな、きっと。賑やかで楽しい。

エンジンは一度止まるとあったまるのに時間がかかる。

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12/29/2010

短期の仕事と長期の仕事 Part2

ITネタが少なくなってしまい大変申し訳ないのだが、全てEvernoteに未発表物を書き貯めており、リリースに関してこちらの事情がある。事情を開示してもいいのだが、あまり面白くないのでしばしご辛抱ください。
直接、会う人間には、結構いろいろ話をしていてネタは沢山尽きることはなく開示しているので満足しているという感じもする。

短期の仕事と長期の仕事の例でもう一つ上げるのであれば、マニアやお宅と仕事する人の違いかもしれない。
例えば、家に籠ってずっとパソコンをいじっていたら確かに、何も生まないし、お金にもならない。この期間がたとえ長くてもだ。
しかし、同じように家に籠っていてパソコンをいじっている、ただし、その内容がビジネス戦略を考えるための調査だったり、ブログ記事をマーケやセールスに繋げる、あるいは記事自体を収入にするのであれば、これは立派な仕事だ。これをオタクやマニアと考える人は多分(と祈りたい)いないだろう。

また、もう少し輪を広げると、
夜中に起きている人のうち仕事をしている人を考えてみよう。
残業したがとても終わらず、会社に残る。シフト勤務で夜中に仕事をしている。一見凄い仕事をしていると思われるがそれは、任務であり、どちらかというと自発的な創造とはちょっと違う。明らかにその時間対価がFIXしているし、やる方もそれを期待している。

夜中に起きている人のうち仕事をしている人を考えてみよう。
残業をしたがとても終わらず、会社に残る。ただし、別に今やる仕事でもないし、今終わらしてもすぐにどうなることはないが、今考えておきたいからやっている。
こちらは、逆に趣味で仕事をしているように見える。多分趣味だ。ただし、その人の頭の中には、作業はなく、仕事というか大きなスケジュールをもった戦略が見えるような気がする。

上記2つを比較すると、短期的な残業と長期的な残業、あるいは、強制か意思かの違いがありそうだ。

どちらがいいかは読者にお任せだが、もう一つ加えると、短期の仕事と長期の仕事の違いは、評価もすぐくるか、なかなかこないかの違いがある。
短期の仕事は、すぐに評価がもらえる。まるでお駄賃のように。長期の仕事は、なかなか結果がすぐに見えないので、すぐに評価は来ない。評価するほうもすぐに結果はでないことを理解している。しかし、一旦結果が見えてくると莫大な評価となって返ってくる。
つまり、すぐ手に入るあめ玉を望むか、なかなか手に入らないプラモデルをもらうかどうかに似ていると思う。

逆の管理者の立場でも同じで、仕事の結果をすぐ欲しい場合は、あまり難しいことを頼めない。すぐに手に入る結果が欲しい。逆に、仕事の大きな結果が欲しい場合は、難しいことを頼んで大きな結果を期待する。
これもすぐ手に入るあめ玉を望むか、なかなか手に入らないプラモデルをもらうかどうかである。
厄介なのは、すぐにプラモデルを欲しいという場合、現実無理を承知でやっていれば、面白いかもしれないが、往々にして、それは、能力が悪いから手に入らないんだと思っているケース。あめ玉を貰う過程では決してプラモデルは手に入らない。それを知らない。なぜならそれをやった事すらないからだ。
自分でプラモデルを手に入れるのではなく、買ってもらうものだと思っている人が該当する。

さらに厄介なのは、その歪んだ考えを上層部がもつと末端までその評価基準が浸透する。
つまり、あめ玉で満足する人は、プラモデルを貰った人のことは理解できないので、プラモデルを貰ったことに対してずるいというケチをつける。実は、自分もプラモデルが欲しかったのだが、手に入れられなかった。正確には手に入れる方法がしらないから悔しいのである。それを大人数でまとめると不公平だという声になる。そうなるともはや、プラモデルを貰うことが悪になる。つまり、その組織全体がプラモデルを貰うことに対して否定的にある。結果として、プラモデルを扱うことができない。

成長しない企業は、プラモデルの拒否から始まるのかもしれない。

短期の仕事と長期の仕事

人の評価をつけて思ったのは、
仕事には、短期の仕事と長期の仕事があるようだ。
短期の仕事といえば、極端に言うと工場の工員の方がなされている仕事。つまり、ペンディング作業はない。
つまり、ラインの目の前を過ぎるまでに終わる仕事で終わらせないとラインが止まる。短期的な集中力を要する仕事である。
もちろん、その仕事がクリエイティブな仕事ではないという訳ではない。そのラインを以下に効率的に少ない人数でまわしていくか
あるいは、自動化していくかということを考えるのはとてもクリエイティブだと思う。

長期の仕事といえば、何か長い期間、多くの人が関与する(使うという訳ではない。使うだけならば、工場で大量の工員を使う場合も考えられる。その場合は、個々の仕事が短期の仕事になる。)
自分たちだけでは、物事が進まない、人と人の組織間シンクロが発生するものと考えられる。こちらは、長期的な集中力を要する。
例えば、パッケージソフトウェアの開発からリリースまでを考えてみると、開発からQA 、パッケージ作成、プレス。マーケティング、トレーニング、プリセールスの各部門が最低でも関わる。
それらが密接にリンクしていて影響を及ぼしあっている。仕事は、ラインのように流れていく仕事ではなく、たまにはペンディングにして後回しやアサイン変えを余儀なくすることも多々ある。

短期と長期の仕事は全く違うが意識されていることはあまりないと感じる。
例えば、オペレーターとエンジニアの違いは、ここにあって、短期の仕事を行うのが、オペレーターで、長期の仕事を行うのがエンジニアになる。(ちょっと暴力的だが)
その日にやらなきゃいけない仕事の割合は圧倒的にオペレーターのほうが多い。ペンディングになる仕事は少ない。逆にエンジニアは、技術的な検証を踏まないとできないような仕事が多いので
実作業はペンディングとして、検証をまず行うことがよくある。

上司も部下もこれを混同するとひとたまりもない。オペレーターなのに、エンジニア的な仕事の依頼をしてもアウトプットは出ないし、エンジニアにオペレーター的な仕事を行う体内時計は持ち合わせていない。
また、集中力の出す強さと期間も異なるのでまず上手くいかない。

オペレーターからエンジニアのキャリアパスは実はかなり大変なのではと思う。短距離選手からマラソン選手への変更ではなく、自営業の商店の店主から政策銀行のトップになるくらい違いがあると思う。
二人の仕事、役割を入れ替えて、果たして、それぞれ上手くいくかも含めて、この比較は合っているのではと思う。
店主もトップも、少なくとも義務教育までは一応同じ教育を受けている。ただ、そこから進んだ道が全く異なる。そこからの道が異なる。つまり、学校選びや最初に入った企業、そこで培った人間関係や
お客様、そのような経験の違いがここまでの違いを生むのではと思う。

なぜ、評価の時に思ったのかというと、入社10年もすれば、その彼、彼女が通っている道も普通の道となり、信念や常識、さらに本人の美徳にまで通じる。その事に関しては、私からみればうらやましいし、
素晴らしいと思う。私は10年も同じ会社につとめたことがないので。ただ、その道がどのような道なのかは、彼らより人一倍、他人の道、自分の通った道を見ているので、客観的に見ることができると思う。
そのチェンジはとても大変だし、意識しないと困難を極めると思う。仕事を始めたときは、どの仕事が世の中で必要とされ、キャリアパスがあり、将来が見通せて、自分が満足できるかは、はっきり分からなかった
かもしれないが、社会人になると、それぞれの進む道が見えてくるのと同時に置かれている環境との融合を図ろうとする。
融合が強ければが仕事、会社も変えずにその中でがんばろうとするだろうし(普通の考え方で。私もこうしたかった。。。)
進む道への思いが強ければ、とてもアグレッシブな、人並み以上の興奮と人が普通手に出来ない幸せをつかむかわりに人がつかむべき幸せを犠牲にするかもしれない。

さてさて、どうするかなぁ。

リスペクト

企業内英語化反対の意見の続き

なぜ、反対なのか。
グリーティングやリスペクトがほとんどないから。
例えば挨拶。
向こうで働くと朝も帰りも、そして金曜日の夕方も気を抜いたら負けるというくらい挨拶がある。
朝は、かならずGood Morning!あれ、誰だっけ、明らかに他人?それでもGood Morning!

そもそもの背景は、元は狩猟文化の人のため、昨日あった人が夜中に獣に襲われて食べられてしまい、朝にはいないかもしれない、ということが挙げられる。つまり、Good Morningという言葉の中には、無事によるを過ごせましたね、よかった、という意味がある。つまり、言葉にも意味があるということ。惰性での挨拶や掛け声とは全く概念が違う。

某研修では、入室の際に「入ります」と言いなさいと指導されるが、正確には「扉に入る前」である。扉に入ってしまえば「入りました」となる。オフィス内にこの掛け声が飛んでしまえば、仕事の邪魔、電話の邪魔以外何者でもない。この「入ります」という言葉は、実は軍事映画だと国、文化に関係無く出てくる。つまり、上官の部屋にはいる時に使われる。自分が見聞きしてはいけないことを仮に上官がしていた場合を想定している礼儀正しい言葉だ。なので、オフィスの入口では、不要だと思う。それに、外にいる人間が「どうぞ」という場合があるともうソープオペラも顔負けのコントになる。

つまり、言葉の一つ一つに意味が分からず、挨拶や掛け声をしている組織で英語化なんて程遠いのある。ある人は、戦時中の軍隊のようだと言っているが、前に書いたとおり、軍隊でもやっていない。いわば戦後教育の成れの果て。どこの企業もこういったことは少なからずあるのでは、と思う
私も含めて戦後教育を受けているし。。。

また、もう一つの英語化を阻む理由として、相手をリスペクト出来ない文化があるということ。例えば、自分に関係ない仕事は、仕事はない、という考え。自分に関係がない仕事で大変なのはあなたが仕事をしていないからだという考え。最悪のケースは、給料泥棒なんだから、夜間に仕事して代休が欲しいなんていうなという場合であろうか。
つい最近、他でこんな話を聞くことができた。
海外のブランチから夜間休日の作業依頼があって、日本の下請け企業は、支払いがないからなんでやるんだという話しが出てもめていた。(実際は契約の通りの支払いがキチンと入っているのだが。)そこで、途中に挟まれた担当者が、海外に事情を説明したが、海外サイドとしては、何度契約書を読み返しても契約通り。その担当者も、改めてすぐにFAX送られてきた両者サイン入りの契約書を確認したが、海外のブランチのいう事に間違えはなかったそうだ。結局、仕事の元請けは海外であったので、夜間休日作業を行った。彼曰く、文化の違いでこうなったのかもしれないが、そもそもお疲れ様という言葉が日本のブランチの人からは何も無く、逆にボーナスの評価がガツンと下がったとしょげていた。唯一の救いは、向こうからのソーリーという言葉だけ。海外からしてみると、なんで正しいことをしているのにSorryと言わなければならないのかという疑問が残っただろう。もちろん、すぐに海外のブランチは、契約を解除するように動き始めた。

この話しを聞いて思ったのは、担当者の上司の海外とのコミュニケーションが不足しているのも明らかだが、海外の文化を組織として甘く見ていたのが大きい。この話しはヨーロッパ系の企業の話しだが、米系はもちろん、アジア系でもよく聞く。そう、日本以外の企業は、全てグローバル化が完了している。それ以前に日本における企業の文化として問題だが。

海外へ行ってきた、海外で仕事してきたと自慢する人は、行動態度は要注意。仕事の質をみるべきだ。少なくともLinked inなどのリファレンスを見せてもらった方がいい。たとえ重役でも。ないのであれば、経験がない人よりもたちが悪いかもしれない。

人の扱いによるのかもしれないが、まずは、英語化をする前に企業文化を一度崩壊させて組み直す必要がある。

この季節によく受ける質問 なぜお客様の前でマスクしているのですか?

外国人の友人から、この季節は、
「どこの日本企業でも訪問すると、必ずマスクしている人がいて、気持ち悪いのだが。」
と言われた。

そういえば、そろそろ冬、インフルエンザの季節。英語だと、flu という。アメリカの空港に行くと、flu shotと言って空港内でも予防接種が受けられる。私はやりたくないけど。

私は「そういう人は誰がきてもその人はマスクしているから気にする必要はないよ」と答えるが、向こうの言い分としては、

風邪をひいているならば、そう言えばいいのに。
それがないと、何かガス室か何かに化学薬品が噴霧されるのではないかとして緊張する。
その人は、もし寒ければコートを着たままミーティングに参加するのか?ヒータも入れずに。
本当にどの外国人だけではなく、日本人にもこんな失礼をしているのか?日本人の君もそう思わないのか?

ごもっとも。確かにこれで訪問者が外国人であった場合、話しが弾むわけでも無く、無言でマスクした日本人に囲まれる。確かにガス室の前室だ。このまま行くとボストンのホロコーストモニュメントに自分の番号が刻まれそう。
私の場合は、幸いその様な失礼な場面に遭遇した記憶がないが、仮にあったとしても、その様な人とはビジネスにならないケースが多いので、記憶から既にないのかもしれない。

普通の振る舞いがその人の全てなのでどうにもならないけど。
人を招くにはまず、自分の振る舞い、そしてみんなが快適に過ごせる場所でということですね。

と思いきや、最近訪問した会社で担当者がマスクして登場。本人は、風邪を引いている様子はないが、やっぱり目の当たりするとおかしいですね。
また、その際、一緒に居た人に言わせると、夏はお茶(要求しているのではないが)も出さずに、担当者はペットボトルを持って登場。自分だけ飲めればいいのかと。
これもごもっとも。

ワシントン空港のセキュリティの人に貰いタバコをせがまれた時に、セキュリティの人と談笑をしたのだが、そのとき彼は、日本人は、礼儀正しいから素晴らしいと言っていたけど、それは見た目だけだよと伝えたかった。。。

12/28/2010

新橋呑みは嫌い

新橋で繰り広げられているとおぼしき飲み会はきらい。新橋で健全かつクリエィティブ、建設的な飲みをしている人がいることも承知だが、くだらない、愚痴やいじめ的な飲み会は嫌い。
そのような飲み会は本当に時間の無駄。タクシーでいくことになるとさらに泣ける。

どうしたらそのような時間の無駄に如何に付き合わないようにできるか?
それは、まさしく君子危うきには近づかずである。
少なくともいなきゃ時間の消費はしないし、居なくて酒の肴になっていても気づかない。
そもそも居なくてどうかなっちゃっても、かまわないでしょ。その人にヨシヨシとしてもらいたくもないし。また、アルコールが入ればまたころっとだし。

近頃そういう飲み会ってスルーしてるなぁ。楽しい飲み会は、それなりに辛いんだが。特に体が。。。

もはやハッキングではないけど。

インド人学生自殺 ズボン脱がされ、あだ名は「ビンラディン」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101227-00000505-san-soci

うーん、こういう記事を見るとなんとも言えない。学校で起きればいじめの問題とか言われて片付けられてしまいそうだが、本人にはとても大変な問題。

こういうことが、学校だけ起きているとは正直思えない。学校以外でも起きているのではと思う。
海外の人に対する面識がないのか、それとも知らないのか、海外の人というだけでいじめが起きて、
彼は自殺してしまった。
以前、アメリカの大学で乱射事件が発生したのもこういうことが原因だったと記憶している。

英語が云々、留学が云々言う前に人間を人として理解して認めることが重要。きれいごとだけ言っていて、行動が伴っていないなら、全く話しにならない。

日本は、ほとんどが日本人(かなり語弊があるのは承知)で日本語を話すのが日本人だと思っている人が改めて多いと感じる。それ以外は、全て出る杭なのかもしれない。
まだまだ、国際化への道は遠い。それ以前に相手に対する認知と敬意を示すべきだ。

12/12/2010

KVM box (Intel Core i3/DH57JG マザー)

ついにボーナスシーズンですね。

社会人になってボーナスをもらうようになってから年々ボーナスの金額が少なくなっていっている。景気の
せいなのかもしれない。1年でいくらというような給与体系であれば気にしないのですが。一方円高なのでPCのパーツが安い。特にメモリは、8GBで8000円を切っている。

みなさんは、ボーナスをもらったら、まずどうしますか?以前、周りでアンケートを取ったところ、だいたい以下のような答えが返ってきた。賛否両論があるが。

1。親や家族にごちそうをする
2。貯金
3。自分のための投資(お稽古や習い事、趣味)
4。欲しい物を単に買う
5。上司へおごる。

私は、3の項目の習い事への投資ってちょっとびっくりしたのだが、自分への投資というのは4に属するのではないかと思っていた。
5。はあり得ないなのだが、少なからずこのような人たちもいる。どこかの若手営業の人たちだったと記憶している。会社が養っているんだから会社からもらったお金は会社に還付してほしいとのことなので会社としても特に文句を言わないらしい、むしろ推奨しているくらいだと当人は話していた。当人曰く、全てのボーナスがそれで無くなったというが、一体何のために働いているの?と聞きたくなった。現代の蟹工船の世界?そういった環境には、労働組合も無いし。昔、労働組合の専門部員をしていたのでこういう話はとても気になるんよ、私。

文化レベルとお金の使い方は相関関係があるような気がする。文化レベル(といって良いのかわからないけど)が低いと情報が入らない。たとえば、PCのパーツを安く手に入れたい。となると、PCを持っていてネットで検索して、価格や店舗を調べ、買いにいく。つまり、PCのパーツを買いに行くには、パソコンがないと安く買いに行けない。いきなり秋葉原へ行っても買えない。もしくは、詳しい友達と行くことになるが、そもそも、そのような友達がいるかどうかも文化レベルに関連しそうな。

良い土壌(友達や環境)良い種(ツール)を巻いていい結果を得ることになるのではないかと。少なくとも良い土壌は、自分たちの気持ち次第でお金をかけずに出来るのだからここから始めてほしいと思った。良い種に投資をする人は沢山いるのだが、良い土壌に投資する人は少ない。

閑話休題
で私は、そろそろ自分のための投資をしてもいいと思った。最初はMAC Book Proを買おうと思ったんだが、Ubuntu Desktopでかなりの部分を代用できる。クラウド関連の人は近頃MAC Book Proの人が多い。
(と書くと私の部署以外で配布されそうな感じだが。)
また、外回りをしているとほとんどのクラウド事業者は、新規の事業ではKVMを採用している。もはやXenはAmazonくらい。Xenの準仮想化は確かに魅力的だが、カーネルが専用であるということを考えると必ずしも使いやすい訳ではなく、動的な構成変更も仮想マシンを増やしたり減らしたりする方法でクリアができる。また、動的変更ができるOSがあまりにも少ない。

一方、KVMは、普通のOSが改造なしに使える上、仮想マシン、ストレージ、ネットワークの揃い方のバランスがいい。そして、ハイパーバイザー型の仮想マシンイメージのほとんどから移行が可能。

Xenも決して悪くはないのだが。Citrix Xen Serverのように、Xenの事をほとんど知らない人間でも使える環境もあるし。(Xenの素人具合は、Dom0を「ホスト」として理解しているかどうかで分かる。全部ゲスト、というか仮想マシンなんだけどー。)
KVMは、まだ、素人用の環境が出てこないので、研究の余地があるかなと。

2回目の閑話休題
で、揃えた機材。一人で持って帰れた。総額4.5万くらい。

●CPU Intel Corei3 540
マザーとセットだと8000円くらいで買えた。サポートしているCPUでもっといいのがあったが、所詮2core
CPUが瞬時にクロックアップする機能が付いていても、所詮2coreである。Hyperthreadingもあまり効果はないし。
ちょっとびっくりしたのが、Fanの高さが小さいこと。これを知っていれば、ケースは買わなかった。。。

●Memory Super Talent DDR3 4GBx2
はっきり、言って安い。このご時世スロットを開けておくのはもったいない。マザーが対応する最大メモリ搭載。これで0.5core/2GBメモリの仮想マシンが3台くらい立てられそう。構成はもう少し検討の余地がありそうだが。

●Mother Intel DH57JG (ITXマザー)
いろいろ付いているのだが、選択理由は純正インテルということで。純正インテルということは、実はSuper Micro製か?さらにポイントとしては、オンボードのNICがIntel製。蟹じゃなくて。ただし、もうRGBもPS2も廃止なのね。。。

●HDD Western Digitalの2TB
Vista用でフォーマットしてあるとのことだが、Linuxで使えるのか?特に気にしないで買ってみたHDDなので型番割愛
<追記> もともと、GPTパーティションテーブルになっていたが、使えた。fdiskでは、もう使えないというか、そもそも、fdiskをもう今は使っていないのでOK。

●DVD SonyOptiarcのDVDマルチ
DVDマルチで3000円以内ということで購入。LG電子のがさらに安かったが、昔LGのドライブが付いた某社のデスクトップを300万円分くらい(10台)買ったことがあるのだが、全部壊れていた。正確には、Gold Masterイメージ(CDをプレス工場に送る直前のメディア)を作成すると必ず、チェックサムエラーが発生する。イメージの作成ミスは数10億の損害に繋がるので、そのPCメーカにクレームを言ったところ、全部Sonyのドライブになって返ってきた。つまり実績がいいということで選択。これも型番割愛

●Case KEIAN KT-CUBU-ITX01
格安のケース。デカイけど、静か。300W電源。あと、がわの入れ方にコツがいる。

OSは、どうするのか?
候補としては、Ubuntu 10.10 64bit Serverか? Appstartの起動の速さには感動。
しかし、商用のクラウドでは、圧倒的にRedhat系なんですよね。

12/02/2010

AndroidとiPhone

近頃、日本でもXepria以外のAndroid携帯が簡単に手に入るようになってきた。秋葉原に行けば、中華パッド?といわれる、タブレット型のAndroidタブレットをよく目にするようになってきた。
Androidのハードウェアのほうがいろいろ付いていて、魅力的に感じる。
ただ、秋葉原で売られているものは、物によってはAndroidマーケットに入れないなどの制約があるらしい。

結局、キャリアが扱っているAndroid端末のほうが安全なのかもしれない。一方、キャリアが扱っているものでも、AUのIS01のように、もうアップグレードパスを打ち切られてしまったものもあるので、一概には言えないのかもしれない。となると、日本で作ったAndroid端末は、仕様は世界レベルであるが、流通がガラパゴスになっているので、安心して買えるものではないのかもしれない。となると、XperiaやDesireなどの海外製のAndroid端末が安全なのかなと思う。日本製のAndroid携帯がアメリカやヨーロッパあたりでも売られるようにならないと駄目な気がする、ソニーのウォークマンが世界中で売られていたように。

一方、iPhoneは、一社独占でかつ、サポートも流通も世界レベルでこの人気というのは、いわばウォークマンと同じ状態なのかもしれない。会社でも決して買わないであろうという人も、発売日に、会社を遅刻してまでも買いに行ったという。

また、どこかのWEBで読んだのだが、日本ではどちらかというとAndroidは仕事向けでiPhoneはゲーム向けみたいなことが書かれていたが、これは違う。仕事で使えば、必然として仕事用になるだろうし、ゲームしかやることしかないのであれば、ゲーム用になると思う。実際、仕事で使っていると、ゲームをしようという気にはならない。iPhoneを見ると、仕事を思い出してしまう。また、音楽を聴いていても、仕事の電話やメールで再生が中断されてしまう。仕事で使わなければ、もっと別の世界があったのかもしれないが。
アメリカには、MMSが普及しておらず、SMSが主流である、また、メールよりも電話という文化があるせいか、少なくともゲームを真剣にやっている人は周りにはいない。しかし、Facebookをやっている人はいる。
これも文化の違いなのかもしれない。私の一部の友人は、Wallを見ているらしく、電話でFacebookの内容を聞かれる。

AndoridとiPhoneに文化の違いはなく、使っている人間側やその住んでいる環境で違いがあるだけのような気がする。

このエントリを書いている間にも仕事のメールが入ってくる。昔ならパソコンの電源を切っていれば済んだ話だが、携帯でExchangeのメールを受信していると時間に関係なくメールが読めてしまう。
日本人の知り合いから見て、私の携帯に夜中にメールがポンポンと入ってくるのを見ると大変面白いらしい。。。しかしながら仕事のメールなので周りに笑われてもこちらとしては対処しようがない。その笑っている知り合いもiPhoneを持っているのだが、プライベートのメールですら、よっぽどメールが来ないのかもしれない。やはり使う側の環境によるのか?と思う。そんなことですら笑われる環境からはチャンスがあればさっさとおさらばしたいものである。

願わくは、次のiOSのバージョンアップでは、Active Syncの着信音を少なくともアカウント毎で変えてほしい。さらに贅沢を言うと、送信者毎に変えられるとうれしい。でもこれは、LDAPのスキーマ拡張が必要か。
仕事のメールも友人のメールも同じように対処しなければならないのは大変不便。

LDAPと言えば、以前はLDAPのソフトウェアのサポートをやっていて、よく、ldapserchを使っていたが、このコマンドを使えるお客様がだいぶ減ってきていると元同僚がぼやいていた。ldapserchも使う側の環境によるのかもしれない。

いずれにせよ、自分の環境を常に正としてみるのは危ない。

12/01/2010

コミュニケーション

企業内英語化大反対を唱えて長いが、別に理由が、ある訳ではない。やめとけのレベルである。

では、英語が話せれば、外国人と正しくコミュニケーションが取れるか?私は調子が良くて、70%くらい。悪いと20%くらい。100%なんてあり得ない。先日なんてなんて気が利いた言葉が話せないのだろうと思いつつ話しを聞くだけ。
逆に日本語が話せれば日本人と完璧にコミュニケーションが取れるか?もちろん取れていたら世の中平和なはず。

コミュニケーションをうたっているところほどコミュニケーションが不味いような気がしてならない。どこの会社でもうたわれているこのコミュニケーションという言葉。まずそれ自体を見直してからでも企業内英語化は遅くない。やらなければ必ず失敗する。

先日、外国人から電話がかかってきた。その主は綺麗な英語を話す人であった。但し、取り次がれた時に聞いた会社名も名前も適当。綺麗な英語を話す人なので聞きなおせば必ず分かるのだが。しかし、いざ話しを聞けば結構面白い話。

間違ったコミュニケーションが上手くいくケースもあるにはある。

電話の主の目的はお察しの通りだが。

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